「相容れないもの」とは?
2/10と2/11、哲学カフェ×アートとして『言葉と色彩で探る“相容れないもの”』というイベントがOAG Art Center Kobeで開催されました。
私も2日間参加し、さまざまな対話の中で、自分の経験や思いをまっすぐに言葉にすることに努めました。
それはきっと、自分にとって意味のあることなのではないかと思います。
息を吐くようにストレートに言葉にすると、自分の中のあるチリのようなものが、一緒に出ていくようなセラピー的な要素があると感じました。
同じテーマで、参加者は違いますが、同じトピックで話さ2日間を通して私が感じたのは、「あと少しで腑に落ちそうな感覚」でした。
相容れないことは、実は相容れることができること。
あなたも、私も、本質的には相容れない存在であること。
相容れないと思いながらも、お互いに歩み寄ろうとする。
でも、自分の考えられる範囲には限りがあるからこそ、相容れないことにもなってしまう。そんなことを考えました。
それもまた、人の関係性の複雑さであり、魅力にもつながるかもしれません。
この課題を通して感じたことは、お互いが対話することで、もしかしたら相容れないことも解決できるのかもしれない。
ただ、もっといいのは、今回のように進行役がいること、第三者、仲介役がいることによって受け入れることにつながるかもしれないということでした。
イベントでは、最初の1時間は語り合い、その後、絵を描く時間に移りました。
言葉にならなかった表現や、感情を、透明水彩を使用し、ウェット・イン・ウェットの技法を使いました。
色彩表現は、うまい・へたを超え、水による作用によって自然も加味し、程よい具合のイメージが出来上がりました。
哲学カフェが、会話であるように、シンプルな水彩表現は作家のコントロールからも離れ、対話と相性が良いと感じました。
参加者の方々が表現したイメージは、それぞれの表現はまったく異なり、それぞれがまったく違うものを持っていることを露わにしていました。
絵を見ていると、相容れないことがあるのも当然かもしれません。どの絵も豊かな表現でした。
「語る」「描く」、そして「説明する」という流れは、アートの手法としてもとても興味深く、有意義なものだと感じました。
哲学カフェもアートレッスンにも適していて、わたし自身も良い時間を過ごしました。
イメージ:2月10日に参加していただいた方の作品です。