山に登る

低山ばかりですが、この夏は山に登っています。
全くアウトドアではない私が、いきなりなぜ山に登るのか。
今年は富士山に登りたいと思いたったからです。

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登山をしたこともない私がこの突然の大きな目標を思い立ち、1週間後には富士山に登る予定を立ててしまいました。何も知らなかったので、ツアーではなく一人登山で山小屋を予約しました。

さてさて、登山予定の1週間後に、静岡に赴いたら富士山は雨。登山超初心者の私には雨の中登ることは拷問と思われ、山小屋を宿泊日変更をし、富士登山を一ヶ月延ばしました。

この延長が良かった。なぜかというと、登山の練習が一ヶ月間出来ることになったからなんです。この間に少しずつ山の高さを上げていって最後に富士山という計画を立てました。

この一ヶ月間の登山練習のように、私にとって身体能力を高める計画を立てたことが今までなかった。

つまり、美術制作にしてもこのように計画的に何かの能力を伸ばしていくような考え方がなかったんです。今回のおかげで計画を立てて高めていく方法があると知ることができたのです。(芸術能力が高められていくということが計画的に出来るかということは別として、組み立てられるということはできるかもしれません。)

他の分野で何かをするということによって気付かされることもあるものです。

あと、登山によって、もう一つ気付いたのは場所による視覚、視点の違い。インスタレーションや映像制作では空間の広さがとても重要です。

私は日本のほどほどの都市の郊外に住み制作をしてるので、やはりそういう環境のもとで育った空間感を持っています。

作品において、ビジュアルにおける奥行きがどうしても浅い感じになります。それはもともと持っている空間感であり、意図したことでもあります。山で感じたのは、日本の山の環境は狭くて、深い。この狭さヨーロッパやさらに広いアメリカとは違って、日本独自でもあると思ったんです。この環境を体感しました。

体感できる経験というのは、いろんな方向に響くものです。

山についての作品はないのですが、山には何度か作品のために録音に行ったことがあります。

一つは「オアシス (2005)」という作品の鳥の鳴き声などのオアシス的な音。

もう一つは「赤い部屋の森の夜(2005)」という作品の走り回る音。

人工的な音が入らないように、山に来ているのに、車の音や工事音など、どこでも人工的なものが入り込むものだと思ったものでした。

禅と呼吸とアート

2007年にフランスのアーティスト・イン・レジデンスから帰ってきた時に、これはイギリスから帰ってきた時もそうだったのですが、やはり日本をもっと知りたいと思うようになりました。

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「嘔吐」 2007  映像インスタレーションの映像部分

もう一つ、アートの世界が主流の欧米では言葉がとても大切なのだけれど、日本のアートというのは言葉で説明できないところを大切にしている。

そして、日本を知るという意味も含め、日本の文化に多大な影響を与えた禅に興味を持ったのと、禅を言葉でもってアメリカで有名にした鈴木大拙氏の本を読むことから始めることにしたのです。

鈴木大拙の事を知ったのは留学時にイギリス人の親友が読んでいたのを覚えていたからです。

禅は言葉ではなく、座禅をしなければ始まらないのですが、これはアート、きっと他のことに置き換えても、可能だと思い、言葉で表現できにくいことをどう納得させ、説明するのかということを学ぼうと読み始めました。

それが、研究というか知識だけ得るつもりだったのが、鈴木大拙氏の巧みな文章の魅力にはまり、座禅自体に興味を持ち、座禅を実践をすることにしたのです。

禅宗の各宗派の座禅会に顔を出したり、本を出しているようなお坊さまのお話を聞きに通ったり、そのうち、禅宗だけではなく、いろいろな宗派のお寺の法話にも参加したりするようになりました。

そんなこんなをしているうちに、実家のお寺さんに、そんなに仏教に興味があるなら、お釈迦様が行っていたヴィッパサナ瞑想というのがあるから行ってきたらいいと言われ、いきなり10日間の合宿に参加したのでした。

合宿にはなんの情報もないまま好奇心で行ったのですが、場所は駅から離れたバス停からさらに車でしか行けない逃げられそうもないところだし、10日間誰とも話してはいけないし、アート関係者しか知らない私にしてみれば参加者はインドっぽいカッコをしているし、変な宗教に来てしまったんじゃなかと最初はびっくりしたものでした。

それが10日間やってみると、すごく良かったんです。

修行みたいな状況が嫌ではなかったようで、毎日瞑想ばかりの毎日も苦ではなく、終了後には、頭がすっきりして、集中力がついたのです。その上、心も綺麗になった気がしました。
それから瞑想はいいものだと思うようになりました。

それでも、毎日の瞑想は習慣までにはならず、ヴィッパサナも続けたり、続けていなかったり、それでもなんとか数年、ダラダラと何とか続けていくうちに瞑想をしてる間は雑念ばかりで集中できていないことが気になり始めました。

それで、座禅も呼吸の数を数えるということから、呼吸法に着目し、瞑想ではなく呼吸法を毎日するようになりました。その呼吸法は第一人者である加藤俊朗先生のものでした。

加藤先生に興味を持ったのは詩人の谷川俊太郎さんの先生であること。アーティストを教えているのだから、アートに近いのではと思ったというところと、スピリチュアルすぎるのは、入れないところがあって、加藤先生は方法も見せ方もシンプルだったということがありました。

そして、ひょんなことから加藤先生自身に教わることになり、呼吸法のリーダーズクラスを終了しました。

それで今は、呼吸法を毎日行っているのですが、とてもいい。何がいいかというと、心がスッキリしている。ひらめきが豊かになってきた。アーティストなのでひらめきは豊かだと思っていたのですが、違う方向のひらめき方ができるようになりました。頭の考えではなく、体の考えや、そして、全体の流れが取れるようになってきました。人間本来の能力が、息すなわち呼吸(人間の生活になくてはならないもの)を整えることで、取り戻してくるのだと感じます。

あとは、何かを探しているところ(何を探してるのかがわからなくてそれが何か探している)が呼吸を始める前はあったのですが、今はそういうところは無くなりました。

二ヶ月に一回呼吸を教えることも始めて、アートと同様、呼吸も生活に繰り込まれています。

呼吸法のサイトはこちらです。
http://artki.jimdo.com

感じて教わる。

私とって、学びの一時があったのでそれをちょっと書いてみたいと思います。
市の依頼で緑豊かな山地での展覧会についての相談を受けました。
その展示場所に、あるアーティストと市の職員さんたちと一緒に下見に訪れました。
そこは市の所有する道の駅の隣の公園のような場所でした。
下見が終わりそうになった頃、そのアーティストはナチュラルにその土地の周りの探索を私たちと一緒し始めました。
私たちは公園の横の道を渡り、すぐ隣に広がる森の中を散策しました。
1歩踏み出しただけで、そこにはその公園よりも生々しく、豊かな本来の自然があり、
冒険的で、そして何か物語を紬だしそうな創造的な場所でした。

しばらくして、そのアーティストは最初に決められた場所ではなく、その散策した森で展示ができないかとを尋ねたのです。
そのアーティストは、私、そして、市の職員たちと一緒に歩き、その場を共有し、経験させ、それぞれの感覚に訴えることで、展示する場所の見つけ方を私たちに教え、その提案に不動の説得力をもたしたのです。
私はこの経験を通して、教育とは与えることよりむしろ、一緒に感じる環境へ導くことだと思ったのでした。
アーティストである私は、アーティストから学ぶことが多いです。
アーティストは、本来人間みんなが持っている宝石のようなものが、
自分の中にあるのを知っていて、それをとても大切にしている人たちなんじゃないかなと思います。

トーク「もう一つの時空間」と高橋源一郎さんのお話

6/21のJICPでのトークが議事録(HP)となりました。

JICPでのトークではインスタレーションに馴染みない方もいると聞いたので、インスタレーションの説明もしました。

でも、もちろん、アートに詳しい人もいるわけで、どこにポイントを置くかというのが重要です。

私には映像作品があるので、本当に助かります。このトークでは映像を3点ほど見せました。作品というのは、見せる状況ももちろんあるのですが、本物なのでやはり伝わりやすいと感じます。
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トークというのは難しいなと思ったのですが、稀にトークで人を魅了してしまう人がいるのも事実。

先週、作家の高橋源一郎さんの講演「ぼくらの学校なんだぜ。」に行ってきました。

高橋さんは言葉の人とはいえ、一時間半以上(延長して)一人で話切りました。
話は取り留めないし、飛ぶんだけど、そのトークが本当に上手。まったく飽きませんでした。

講演の中では、他の作家さんの名前も出てきたのですが、

鶴見俊輔さんがハーバード大学にいいる頃、Poet in Residenceでロバート・フロストが1年間ハーバードにいてたそうです。ロバートフロストは1年間のレジデンス中、ほとんど飲んで、ベンチで寝てて、生徒が質問してもろくに答えてくれなかったそうですが、学生でどの先生が良かったかというアンケートで一位になりました。

あんな生活を送っていても、素晴らしい詩が書けるということが学生には新鮮だったようです。

確かに、一生懸命制作しているからといって、いい作家というとそういうわけではありません。

私もレジデンスでいろんなタイプの作家を見ました。

で、「ぼくらの学校なんだぜ。」の最後のまとめは結局「教えないのがいい教育」という結論に達したと思うんですけど、私もそうだと思います。でも、教えないのが難しいんですけれどね。

『ぼくらの文章教室』を読んだことがありますが、いい本で、面白くて、それでも、まだ私の文章は上手にならないんだけれど、彼の講演によるとうまくなるコツは「人に読まれる」ということなので、こうやって書いてみたのでした。

あなたと私、一対一で向き合うパフォーマンス③

ここまで来るのに時間がかかってしまいましたが、あなたと私、一対一で向き合うパフォーマンス③です。

さてさて、重要なパフォーマンスの部分です。

パフォーマンスは金、土、日の三日間。一対一型なので実際に経験できるのは少なく30人です。

フェスティバルWROUGHTの主催者の方たちがわざわざ日本からやってくれる私のために、宣伝をしてくれたのでしょう。私のパフォーマンスは予約でほぼ満席。

パフォーマンスは20分間行われ、平均休憩は10分です。

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さて、どんなパフォーマンスというと、インスタレーションの奥に机と椅子が用意されており、

その席に観客と私は向かい合って座り、一緒に水 -私はBuxtonというイギリスの水を飲み、観客は日本から持ってきた岩手県の水を飲む-というパフォーマンスです。パフォーマンスでは私は一切話しません。

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観客の方は何をしても自由ですが、20分間というのは結構長い。

最初私は、無言ながらコミュニーケーションをするような気持ちで、相手に答えるというか気を使っていたのですが、数人とパフォーマンスするうちに思ってきたのです。

コミュニケーションをしているつもりでも、すべて自分で感じるだけですから、結局自分しかいないのです。

思ったことも、自分が勝手に推測していることですから、相手がわからない。

このパフォーマンスは結局自分と向き合う行為だったのです。それは相手も然りでしょう。

さまざまな人がいました。話す人、途中で席を立つ人、目をじっと見つめる人、外らす人、パフォーマンス最終日は疲れたような疲れていないような。。。

不思議な感覚を伴ったパフォーマンスでした。

今まで興味があって実践していた座禅や呼吸法が生きてくる作品でもありました。

また日本でもやってみたいと思えるパフォーマンスでした。パフォーマンスはそんなに盛んではない印象がありますが、このパフォーマンスは茶道に通じるものがあり、日本人にもなじみやすいのではないかと思いました。

 

トーク「もうひとつの時空間」

主にハンブルグの個展についてのトークをいたします。

ハンブルグの個展で見せた作品などを交えてのトークになります。

このトークタイトルは主催であるJICPのディレクターの方が、私のインタビューなどを読んでその中で印象に残った言葉だそうです。

素晴らしい作品にはもう一つの時空間が存在しているのを目の当たりにすると感動するものです。

最近では TATE MODERNの「Performing for the Camera」で細江英公氏の舞踏家、土方巽氏を撮った写真を見て強い衝撃を受けました。小さな写真の中に現実より幻想的でありながら、しかし、一方では強い現実性を持った時空間を見ました。

そう考えると恐れ多いタイトルであり、それについて片鱗でも話せたらいいかな。

TI_JICP「もうひとつの時空間 美術作家 稲垣智子 上映とトーク」

日時:2016年6月21日(火) 19:00~20:30 (18:30 受付開始)

会場:大阪府立江之子島芸術文化創造センター2F ルーム12

tel: 06-6441-8050

ゲスト:稲垣智子(美術作家)

映像「間ーあいだ」上映(7分)

お話「もうひとつの時空間」

参加料:1,000円 参加申込は6月18日までに下記e-mail(JICP)までお申し込みください。

主催:JICP           e-mail: info.jicp@gmail.com

説明のPDFダウンロードはTomokoInagaki_JICPから。

あなたと私、一対一で向き合うパフォーマンス②

あなたと私、一対一で向き合うパフォーマンスの第二弾です。

そうして、日本から持ち込まれた水はマンチェスター空港に無事に私と共に到着し、一安心したのですが、次の日からはさっそく搬入とその場所との対面です。

場所との関係が繊細であるインスタレーションにとって、スペースの大きさ、サイズ、環境、そのものが持つ雰囲気は重要です。その場所を写真や図面でしか見ていなかったので、その場所を見て感じる第一印象で作品が変わってきます。

場所はMUGENという名前の付いたカフェの一角で、世界地図が飾ってありました。

これらの要素は関連性を見つけて、インスタレーションがうまくいくことを思わせました。

MEGENは「無限」だし、世界地図(私が使用するのは日本から見た世界地図)は今回のインスタレーションに使用する一つの素材だからです。

難しいところもありました。平行なところがなく、ライトが真ん中に位置し(これは結果的に良い方向に行きました)、思っていたよりオープンなスペースでした。

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こういうことを踏まえて約一週間の搬入が始まりました。

素材は主に透明の糸、透明のビーズ、針。

透明のもので作る作品は設置するのが見えないだけにとても難しい。

透明の糸に透明のビーズを入れるのも、透明の長い糸を絡まないようにとり扱わないといけない。

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吊ったら吊ったで、針で床に止めてあるだけなので、力が入るとすぐに取れてしまいます。

そんな根気のいる作業にボランティアの人が何人か来てくれました。

そのことはとても嬉しかったし、おかげで早く進んだし、一緒にいるだけで励まされました。

そうやって私の作品はパフォーマンス当日の午前までかかり完成したのです。

皆さん、本当にありがとうございました!

次はパフォーマンスについて書きますね。IMG_20160414_192406

Screening Melting Point

「Screening ‘Melting Point’ + TEGAMI Project from Hamburg」

アーティスト:伊東宣明、大崎のぶゆき、小泉明郎、松井智惠、稲垣智子

Print

2016年5月24日(火)- 28日(土)
火曜 – 金曜 12:00-19:00 土曜 12:00-17:00

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クロージングパーティ|2016年5月28日(土)15:30 – 17:00

この上映会「Melting Point」は、美術家、綿引展子の“TEGAMI – 日本人アーティストの視点”(”TEGAMI – Perspektiven japanischer Künstler“)として開催された稲垣智子の個展のイベントの一つとして開催されました。稲垣がキュレーションした上映会’Melting Point’に稲垣の作品を加え、展示致します。

Melting Pointとは融点という意味ですが、ある一定までは同じ形状をしていたものが、ある地点に来たことで変化していくような映像作品を選んでいます。

それは単純に形態だけではなく、観客の内面に起こるものです。

この上映会では、“TEGAMI – 日本人アーティストの視点”が2011年東北大震災を機に行われたプロジェクトいうことに敬意を表し、その時、またはそれ以降に日本に住んでいる美術作家による、2011年以降の作品を上映いたします。

なお、この上映会は

2016年4/15~17ではシェフィールドのWROUGHT Festivalで5/11にはハンブルグのFRISEでも巡回しています。

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WROUGHT Festival 2016,sheffield

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FRISE – Kunstlerhaus Hamburg e.V.

関西アートビートにもこのイベントに関連してインタビューが載りました。

ぜひ読んでみてください。

http://www.kansaiartbeat.com/kablog/entries.ja/2016/05/inagakitomoko.html

 

あなたと私、一対一で向き合うパフォーマンス①

 

イギリス、シェフィールドで行われた二回目になるOne to One Performance ‘WROUGHT’に2016年4/15-17まで参加してきました。

まず、One to One Performanceとは、一対一で行われる世界でも稀なパフォーマンスだけを集めたフェスティバルです。私はそこでインスタレーションをさせてもらい、その作品の中でパフォーマンスを行いました。wrought2016d-greylighter-large-bw私の作品は「The Day It Is Raining(その日はずっと雨が降っている)」というインスタレーションで、浜松鴨江アートセンターやライプチヒで行った透明の糸とビーズ、そして針で作られる繊細な「雨」のシリーズ、シェフィールドでは今までの中で一番大きいサイズです。

自分でもまだ作ったことのないサイズなので設置が終わるまで、一つずつミッションを終えていくような感覚で制作をしました。

そのミッションは早くも素材を運べるかというところから始まっておりました。

最初のミッションはパフォーマンスで使用する水(約20L)をシェフィールドまで無事に運べるのかというものでした。

というのも、パフォーマンスでは観客と一緒にお水を飲みます。そのお水は日本の水であるということが重要でした。
シェフィールドで日本の水が販売されているか、それを調べるところから始まりましたが、わざわざ重いただの水を日本から輸入するかというとそんなことは普通に考えてしないものです。はい、ありませんでした。

ではロンドンのような都会ではどうでしょう?
ミネラルウォーターを販売している大手の会社に数社電話して、海外に水を輸入しているか聞いたところしていないということが判明しました。

その後、福島県の水を販売しているミネラルウォーターの会社に電話して海外へ発送してくれるか問い合わせたところ、2011年以降は海外への配送が禁止になったらしいということもわかりました。(すべてのミネラルウォーターがというわけではありません)

結果、受託荷物を2つにして持っていくということにしました。

約20lのお水は同等の重さのスーツケースより、とってもとっても重く感じるのです。その上、合計40kg以上の荷物ってもう本当にめげそうでした。

無事に空港のカウンターで荷物を預けてからも、ペットボトルは輸送中に割れないか心配だし、一応、電話で問い合わせをしたけれど、現場で断られないか、危険物とみなされて没収されないか心配で荷物をマンチェスター空港で受け取るまで安心できませんでした。

でも水は無事に、何の問題もなく到着をしたのでした。

水だけでこんなに書いてしまったので、準備編を次回書きます。

 

 

 

Rain in Hamamatsu

鴨江アートセンターで行ったインスタレーション。
Rainシリーズはこれで二回目。
三回目はシェフィールドのOne to Oneパフォーマンスフェスティバルの’WROUGHT’で行います。RainHamamatsuWholeweb素材は透明の糸、透明のビーズ、縫い針、鏡です。ここでは、天窓から入る光を活用して、天窓から床まで透明の糸が繋ぎます。ここは過去、警察署だった歴史的建築物でこの部屋は留置所だったと聞いたので、窓の光は特別な意味を持つと感じました。

さて、この’Rain’のシリーズは大学生の時に初めて作りました。
その時は習作というか、作品には自分の中で成りたたなかったのです。

この作品が作品として成立したのは、それから15年も経ってから、2015年のライプチヒにあるスペース、日本人の家で行われたTEGAMI展の時です。
TEGAMI展は2011年3月11日の東日本大震災を受けて、始まったプロジェクトですが、その展覧会に出品するにあたり、当時東京に住んでいた自分の状況などを思い出しました。その時の東京は混乱していて、そして、たくさんの情報が飛び交いました。

その時は私はなぜだか、これが現在の戦争なんだと思ったんですね。
敵も分かりにくく、兵器は見えにくく、今まで日常になってきた、空気、風、雨の中に含まれて見えないんなんだと。

そういう思いからこの作品を作りました。

RainHamamatsuweb

RainHamamatsuTopweb

見えにくい作品なんですが、唯一透明ではないものが、床に刺さる針です。針で床に突き刺さることが私にとって重要な意味を持っています。

東日本大震災を受けて、原発には反対だとはぼんやり思っていましたが、
今はしっかり反対だと言えます。