秋の始まりと詩

9月1日、秋の始まり、月の始まり、そして、今日は新月だそうです。

何かを始めるのに良さそうです。

私は、この秋は読書をします。詩を読みます。

きっかけは夏に見た東京国立近代美術館の声ノマ 全身詩人、吉増剛造展。

最近見た展覧会で一番心に残った。
でも展覧会では、詩がビジュアルに重きを置かれていて、私自身も展覧会では詩はほとんど読んでいません。

どちらかというと詩を感じる展覧会でした。

五感を通じて、詩の強さと、言葉と文字自体や写真や映像、ビジュアルへの展開にパワーを感じ興味を持ちました。

展示には日記もありました。
その中で目を引いたのは文字でした。
20代の頃の日記の特徴のない書体と大きさの文字。

そして、現在の2mmほどの大きさで書かれた極小文字への経緯に関心が行きました。

その文字を目にした時に、文字自体が詩を書くというか、詩を生み出していることもあるんじゃないかなと思いました。

そおうでなくても、彼の文字は、文字以上であることは展覧会を通して見えてきたのでした。

その後、宮沢賢治にも興味が湧く出来事がありました。つい最近は、友達の紹介で、ポルトガル人の詩人に出会いました。

なんとなく詩との出会いが出てきた。だから、この秋は詩にフォーカスをしてみます。

小学校高学年の時、詩の家庭教師を付けてもらいました。私にとって後にも先にも家庭教師はその一人でしたが、詩の家庭教師って今から考えれば不思議なものですね。

家庭教師は多分文学と絵が好きな頭の良い学校に通う高校生でした。詩を書いて、読んでもらったりしていました。

今から思えば、小学生の私は詩の何に惹かれていたんだろうと考えます。

家庭教師をつけてくれた父でした。父は画家で、むしろ父も詩に惹かれていたんじゃないかなと思います。

小学生だった私が何に惹かれていたのか、詩を読んで思い出すかもしれない。

そんなことも考えながら、ゆったり詩を読む、熟成していく秋にします。

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